博物館に寄せられた質問から 番外編2

名和昆虫博物館 名和哲夫

 今回も、当博物館に寄せられた質問から、特に思い込みの激しい例、そんなこと聞いてどうするの?というような質問を中心にご紹介します。

60年以上生きてきて初めて見た!

 「今頃バッタを捕まえたが、こんな2月にバッタを見たことは60年以上生きてきて初めて。何か天変地異の前触れではないか?」
年配の男性からのご質問です。なぜかご自身が見たことがないとすごく珍しいことになってしまうようです。おまけに人類の先行きまで危ぶむ大げさな方も少なくありません。
 「そのバッタの頭の先はとがっていますか?それともいわゆるトノサマバッタのような感じですか?」
 「先へ行くほど細くなって、とがった感じだな。」
 「それは、おそらくクビキリギスといってキリギリスの仲間でしょう。成虫のまま冬越しする代表のような虫で、冬でも暖かい日には動き出し、目に留まることがあるのです。」
 「珍しくないか?俺は今まで見たこともなかったが………。」
 「このあたりには普通にいる種で、決して珍しい種ではありません。」
少し相手のはやる心を傷つけてしまったかと、気遣う気持ちで、
 「冬の最中にバッタを見つけるというとき、このクビキリギスかトノサマバッタに似た体形のツチイナゴのどちらかのことがほとんどです。ツチイナゴは河川敷の草むらや堤防などに多く、あまり人目につきませんが、クビキリギスは、人家近くの草むらにも潜んでいることも多いため、よくこのようなご質問をいただきます。」
 「最近増えたということはないのか?」
と、まだ未体験の出来事に対する評価を得たいという感じがありありでしたが、事実と違うことを言って慰めるわけにもいきません。なるべくいやな思いをされないよう言葉に気を付けて、受話器を置きました。

ツノのあるトンボを発見した。新種?

 「昨日家の裏の草むらで、ツノのあるトンボを見つけました。こんなの見たこともないけど、新種ではありませんか? トンボの図鑑を見ても載っていません。」
自分が見たことがないものを新種と言っていたら毎日いたるところで発見だらけです。30年ほど前は、全く同じ質問が1年に1回はありました。ここ数年は、お騒がせの犯人の種が環境の変化のせいか、個体数が減少しているようで、あまり聞かれなくなりました。電話では断定することはしないのですが、この質問に関してはほぼ断定していいほど明確です。
 「これは、おそらくツノトンボだと思います。トンボではなく、ウスバカゲロウの仲間に近い種ですので、トンボのコーナーには出てきません。一度、図鑑でウスバカゲロウの載っているあたりを見て下さい。」
ツノトンボの仲間は、キバネツノトンボ、オオツノトンボ、オキナワツノトンボとこのツノトンボの4種が日本には分布しています。このうちツノトンボが最も広範囲に普通にいる種とされていました。ところが最近、なかなかお目にかかれません。私自身このグループが好きで集めているのですが、結果的には、ツノトンボの標本がほとんどありません。平地の林縁の草はらなどを棲息場所としているようですが、普通種と言われる割には目にする機会が少ないのです。この種に関しては、こんな質問をもっと受けたい気分です。

この虫、何ですか?

 博物館には、突然入り口で、
「この虫さっき捕まえたんですけど、何という種類ですか?」
という質問も少なくありません。お子さんが多いのですが、たまに大人の方もあります。以前は、これも博物館の仕事でもあると考え、預かって、図鑑などで調べるということもしていました。しかし、すぐにわかるものならいいのですが、自分の不得意分野のものとなると、30分以上かかってしまうこともあります。
 持ち込んだご本人は、たまたま捕まえたからという軽い気持ちの方も少なくなく、博物館だから何でも答えるのが当然のことのように依頼してきます。逆に手間取っていると、「この博物館大丈夫か?」といわんばかりの表情を浮かべる方もみえます。
 子どもさんの場合、苦労して調べた挙句「これは○○○○だよ」と伝えても、当たり前のようにしてメモもとらずに帰ろうとすることがよくありました。確かめるために、帰ろうとする子に、
 「ボク、ボク、さっきの虫の名前、何だった?」
と尋ねると、ほとんどの子が言えません。30分かけて調べても、相手は一瞬で忘れてしまうということは、調べても無駄ということです。こんな質問、「そんなこと聞いてどうするの?」と問い返したくなります。

動機の希薄な質問は、答えると逆効果

 このような経験から、現在当博物館では、質問は入館者のみに限らせていただいています。もちろん当博物館の業務上差し支えがあるということも大きな理由ですが、何より、質問者にとって、ためにならないと考えるからです。気軽に聞いてすぐに返答が得られると、それ以上頭を使いません。頭を使ってないのに答えが得られると、当然すぐに忘れてしまうのです。ただ忘れるだけならいいのですが、こういうことを許していると、「疑問に思ったら聞けば何でも分かる」という姿勢が定着してしまいます。これではいつまでたっても質問した人のためになるとは思えません。
 まず、入館料を払ってでもその疑問を晴らしたいかということを判断していただき、それでも知りたいという強い動機を持つ人には、図鑑など資料を持ってきて、いっしょに調べるか、その人に自分で調べることのできる場を提供するかという対応をしています。このあたりは相手を見て無理のない方を選びます。
 すると、子どもさんでもおもしろがって、「これって○○○○でいい?」と自分で調べた結果を報告してくれます。間違っていると思うときは、こちら側の思う種を提示して、納得のいくまで見比べてもらいますし、こちら側の意見とあっていれば、大喜びです。このような場合、子どもさんでも必ずその結果をメモって帰ります。
 ほとんどの人は図鑑など資料がないので、調べたくても調べられないというのが本当のところでしょう。調べ方がわかれば、あるいは手元に資料があれば、自分で調べることができて、よりこの分野の魅力にも触れていただけるのです。

インターネット時代の恩恵と落とし穴

 30年前と今とで最も大きな違いと言えば、インターネットの発達です。確実な情報ではないとはいえ、虫などの多くは画像も説明もネット上に情報が氾濫しています。正式な報告が必要という仕事にネット上の記述を使用するのはダメですが、自分の持った素朴な疑問を解消するくらいなら、充分役に立ちます。実際、昆虫に関しては、ほとんどの人が真面目に情報を載せているので、電話での質問で画像を見てほしい時には、ネットをお勧めしています。
 ただ、ネットで怖いのは、その便利さです。気軽に苦労せずに調べることができるようになると、深く興味を掘り下げるという姿勢が希薄にならないかということです。「博物館だから聞けばいい」という今回の事例と同じ弊害が出てくるような気がします。おそらく、ネットでの情報だけでわかった気分に浸ってしまうと、いつまでたっても薄っぺらな雑学という範囲にとどまってしまうでしょう。
 その人独自のものの見方、考え方を鍛えるのは、やはり体を使って虫と接することだと思います。例えば分類に興味がある人であれば、好きな虫のグループを採集、標本作り、コレクションという流れを経験すると、自分がやっていない仲間のことでも、ある程度類推できるようになります。飼育の好きな人であれば、未知の種の飼育にも過去の自分の体験から想像ができるでしょう。体で得た経験は、本などで得た知識などと別次元の感覚を身につけることができると思います。これが、思い込みや信じ込みによる間違いを防ぐ一助になると考えています。

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