もっと知りたいIPM☆清潔な環境を求める法律

ジャック・ドラゴン(Contributor)

 日本国憲法第25条は、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定しています。この条項は2つからなっていて、そのひとつが「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とするものです。もうひとつは国の社会的使命を「すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」としています。
 第25条後段の、公衆衛生の向上と増進のために国がとった総合的な方向は、日本人の衛生思想の高さと個人が持つ勤勉な能力と相侯って、今では非常に完成度の高いものになっています。そしてこの条文が論拠となる公衆衛生面の向上に関する、数々の法律が誕生することになるのです。「公衆衛生」を欧米ではパブリックヘルスと呼びますが、日本ではこれを環境衛生と呼び習わしています。

■環境衛生とIPM-改正建築物衛生法の誕生

 いわゆる環衛6法と呼称される旅館業法・クリ一三ング業法・興行場法・公衆浴場法・理容師法・美容師法の6つの法律をはじめ、食品関連施設や廃棄物施設または労働衛生や検疫などに係わる場所で、害虫等のいない清潔な環境を求めるとする条項を備える数多くの法律があります。
 なかでも興行場や百貨店など、特定建築物の要件として定められている用途に供される、延べ面積が3000㎡以上の建築物については「建築物における衛生的環境の確保に関する法律(建築物衛生法)」があることはご存知のとおりです。この法律はその建築物内の空調・給排水・清掃などの維持管理に関する定めを設けるほか、ねずみ等の防除を行い衛生的環境の維持を促しています。70年に定められたこの法律に関しては、制定後ほぼ30年を経過した平成13年10月に第1回の建築物衛生管理検討会が招集され、約1年間計6回にわたる審議の後、その答申案がもとになり、01年に関連省令が改正され翌02年に施行されることになりました。
 ところが、この改正法にはPCO業者等がねずみ等の防除をどのように行うかについての、具体的な要領が示されていませんでした。そこで日本ペストコントロール協会(日ペ)は独自に研究図書検討委貞会を立ち上げ、ねずみ等の防除マニュアルを作成しました。このマニュアルがつい最近までPCO業者のバイブルとまで称された「建築物におけるIPM仕様書:ネズミ・害虫等の調査と防除基準」です。
 ちょうどその頃、NPMA(全米ペストマネジメント協会)を中心に、世界中のPCOがIPM施工を目指そうと、02年にフロリダ州オーランドで開催のNPMA年次大会で議定書(プロトコール)を採択したばかりだったので、日ペの機運も盛り上がりを見せていました。いわゆるオーランド・プロトコールです。日本の防除業者もこれを機会に、IPMの推進に取り組み始めたのです。

■建築物環境衛生維持管理要領改正と維持管理マニュアル

 そして今回、厚生労働省健康局生活衛生課により、ねずみ等防除分野にIPMに基づく管理の導入を図るための要領改正と、これに付随するマニュアル(建築物の良好な環境を維持するための管理方法の一例を示したとされる)が示されました。今までの自主的な「仕様書」ではなく行政が作成したマニュアルです。局長通知ともなれば法に準ずる効力を持ちます。そのようなことから、いまのところこのマニュアルが日本のPCOにとっての最大関心事になっています。
 関心事の第1点は、害虫等がどの程度生息または増大するおそれがあるかの水準の決定を、マニュアルが求めているところにあります。このマニュアルが通知されるに際して厚労省はそのホームページを通じて、パブリックコメントの募集を行いました。私の個人的見解を申し上げるなら、そのパブコメの原案にあった目標水準のうちの“快適水準”という表現には問題があるなと、まず感じました。
 なぜかといえば、PCOに防除を委託するいわゆる施主は、皆が皆とは言えませんが、害虫やねずみがいなくなることを望むからこそPCOと契約を交わすのです。その状況を原案は“快適”と表現したのだと思います。ところが実際にはねずみ等の生息を完全に断つことなど、そう易々とはできそうになく、もしこのような契約を交わすなら、業者側の負担が大きすぎ契約の対等性に欠けることになるでしょう。パブコメの結果はやはりこの言葉に反対する意見が多く、最終的に“許容水準”という表現に落ち着いたようです。
 いずれにせよPCOには契約に基づく結果(防除効果の評価)の説明責任があります。それでよく言われるように、IPMでは施主との信頼関係を築くためのコミュニケーションが肝要なのです。施主が求める“許容”とPCOの(技術的立場からの)“水準”との間には、大きなギャップがあることは誰しもが経験されていることではないでしょうか。

■医薬品殺虫剤と

 医薬部外品殺虫剤だけで
 二つ目の課題は、建築物衛生法のなかで使用できる殺虫剤を、医薬品または医薬部外品の殺虫剤に限るとしていることです。マニュアルはねずみ害虫等をネズミ、ゴキブリ、蚊およびその他の4つのグループに分け、それぞれのIPM実施モデルを例示しました。そして、その他のグループにはハエ・コバエ類が入っています。
 薬事法はハエ・蚊・ゴキブリ・イユダニ・ノミ・トコジラミ・シラミ・屋内塵性ダニ類の8種の害虫を、人や動物の疾病に関係するとし、それらを防除することは疾病の予防にあたるとしています。ところがコバエはこのなかに入っていません。このことは先述の建築物衛生管理検討会の第6回目の会議でも検討されたようです。「医薬品もしくは医薬部外品の適用対象以外(この場合はコバエ類)の衛生害虫も含めてよいのか」という論議だったように思います。薬事法のもとに販売の承認を与える医薬食品局と、建築物衛生法を主管する健康局との間に何らかの了解があったのでしょう。いずれにせよこの種の議論は、殺虫剤等を一元的に管理するという望ましい方向を示すものと言えます。

■メタミドホス問題が示唆するもの

 -lPM防除の推進を
 維持管理マニュアルが通知されたのは、ちょうどメタミドホス※問題が報道の最中にあったときでした。中国から輸入された冷凍鮫子に猛毒の有機リン剤メタミドホスが検出されたのです。ところが調査を進めるうちに、あろうことか鮫子を包装するポリ袋の外側に、ジクロルボスが高濃度に吸着しているのが見つかったのです。
 このDDVPの残留は、日本国内に入ってからのものであることが明らかです。種々の調査の結果、残念ながら懸案の鮫子を保管した場所での、DDVP樹脂蒸散剤の違法使用が判明しました。使ってはいけないところで使うという用法違反に加え、使用上の注意が守られていませんでした。このような日本側の非もあったためか、その後の中国側の調査結果もいまだ明かされていません。それどころか日本の派手な報道が、日本人の中国食品への不安を不必要に煽り、日中の国民感情の今後に、重大な影響をもたらすことになるのではなかろうか(馬挺・早大講師、私の視点、朝日新聞3月19日)と指摘もされました。
 一部のPCOによる殺虫剤の用法用量や使用上の注意の軽視が、大きな問題に発展した上、ほかにも同様なことが行われているのではとの社会の関心をも引き起こしたのです。
 このDDVPが厚労省の承認した品目であったからよいものの、もし調査の結果農林水産省が登録した農薬が検出されたとしたら、それこそ大問題になっていたに違いありません。
 このようなとき、農薬取締法は適用の無い害虫(無登録)に農薬を使用したとして使用者の責務を問い、最高3年の懲役もしくは100万円の罰金刑を科すと定めています。また食品衛生に係るポジティブリスト制度は、どんな農薬でも0.01ppm以上の残留で、その商品等の流通が禁止されますから、そのような間違いを起こした業者に当然ながら損害賠償も求めることになるでしょう。このような社会的信用の失墜回復に、どれほどの時間と努力および費用が必要かは考えるまでもありません。
 メタミドホス残留問題では図らずもPCOによる薬剤の違法な使用が指摘され、行政処分というこの業界にとって大変残念な結果を招いてしまいました。
 PCO業界にとって高い水準の防除技術を基礎にした、社会的責任の涵養は長年の懸案事項です。いま業界には厚労省が示したIPM防除推進のための、推持管理マニュアルがあります。冒頭に申し上げたように、憲法第25条に裏打ちされた衛生的環境の確保と維持に向けて、業界人にはなお一層の研鑽が求められているのです。

※メタミドホスは米国ではEPAが72年に登録したが、それ以降長年にわたる安全性論争があり、06年のFR(官報告示)でその論議に幕が引かれた。またFAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機構)の食品残留農薬合同会議は、メタミドホスが安全性の高いことで知られるアセフェートの主要代謝物であることを02年に明らかにした。

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