博物館に寄せられた質問から 住居編②

名和昆虫博物館 名和 哲夫

【虫たちへの嫌悪感】
 最近の住居は、大変清潔で密閉性も高く外にいる不快な虫たちを完全にシャットアウトしているかのようなイメージがあります。実際、建築業者さんの宣伝文句の中に虫など入り込むすきもないかのようなイメージで宣伝していることもあります。
 ところが、これがまた最近多くのトラブルを生む原因にもなっていると思います。私たちが子どものころは、家の造り自体が隙間だらけだったので、家の中にクモやゴキブリ、ハエ、カなどがいることの方が当たり前で、受け入れて生活していました。隣近所の家に行っても同じような状況なので、それを不満に思うことがなかったのでしょう。しかし、建築の技術が進んで家の中に虫がいることが稀になってくると、いるというだけで不満が生じてきます。もっと、徹底していなくすることができないかと考えるわけです。ここに昔ではありえない苦情が生まれる要素が出てきます。
 全ての人たちが、「虫は、いて当たり前。家の中にだって入ってくる。その旺盛な繁殖力こそが自然の調和を支えている原動力だ。」と理解してくれれば大半の苦情はなくなるでしょう。しかし、それはよほど自然に興味をもって、自然の楽しさを知った人でないと無理かもしれません。いや、そのような人でも、興味の対象であるグループの虫は許せても、くつろいでいるときに出てくるゴキブリやムカデは許せないというのが正直なところでしょう。

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【自然観の押しつけは、トラブルの元】
 人間がいかに虫たちと付き合うかという問題は、その人の自然観にかかっています。それを尊重せずに自分の自然観を押し付けると、かえって反発されてしまいます。こちらの自然観の方が科学的実験の事実に基づき、より深いところまで自然のことを考えている自然観であったとしても、受け入れるかは相手次第です。学会の中では、そのようなかたくなな姿勢は非難されても、一般の人たちに対しては、その理屈は通りません。特に最近は、虫に接することが少なくなってきたせいか、そんな大げさなと思える反応を示す方が増えています。ですから、私も30年前に平気で使っていた「それはほうっておいても大丈夫ですよ。」とか、「食べても大丈夫ですよ。」などの言葉を発しにくくなってきています。人によっては、食べたと想像しただけで気分が悪くなるという人もみえますから………。
 ですが、恐怖心を軽減することはできます。というのは、虫の存在を疎ましく思っている人ほど、虫に対して背を向けます。知ろうと思わないで、逃げようとします。ですから必要以上に恐れるようになります。
 持ち込まれる質問のうち多くの方が、「これは刺したり噛んだりしませんか?」と尋ねます。ハチやムカデのイメージから、全く直接的に危害を加えてこない虫に対しても、大きな恐怖心を持っているのです。この点に関しては、実害がないということを丁寧に説明することによって、その恐怖心を和らげることができるはずです。

【柱から虫が………】
 以前、40代くらいの男性が、タマムシの死骸を7、8頭持ってきて、「これは何という虫ですか?」と尋ねます。出てきた様子を聞くと、「家の天井付近の柱から出てきました。」とのこと。
「その材は何の木ですか?」と私。
「松です。」
 この少し前にも、あるお寺の天井の松の梁を変えたところからこの虫がいっぱい出てきた、という質問を受けたところでした。
 少し待ってもらって、調べてみると、やはりクロタマムシでした。そのことを告げると、意外な質問が帰ってきました。
「刺したり噛んだりしませんか?」
 私は、クロタマムシの出てきた穴が美観を損ねるとか、これが繰り返し繁殖して、柱の強度に問題が出てこないかというようなことが最も心配なことだろうと思っていました。
「私はあまり気にならないんですが、女房と娘が気持ち悪がって、聞いて来いと言うので………。」と言われるのです。
 クロタマムシは、体長11~22ミリ程度の中型のタマムシで、オスは顔面にオレンジ色の紋を持つなかなかかっこいいタマムシで、私などは、標本としてほしいくらいでした。(それを口に出したところ、後日わざわざ持ってきてくださいました。)タマムシなどの風貌は、一般の人にとってもそれほど恐怖心を抱かない虫というイメージがあったので、こんな虫でも恐れるんだと驚いた記憶があります。
 前回登場したヒラタキクイムシやコクヌストモドキなども、当博物館に持ってこられる一般の方の大きな心配事は、「刺したり噛んだり危害を加えられませんか?」という場合が多々あります。その危険性は全くないということが分かると、急に表情が緩み、話が弾むようになります。つまり、人体に直接危害を加えるものかそうでないかということがわかれば、その虫に対する恐怖心が薄れ、それらに対する許容限度も引き上げられるとも言えます。ただ、その虫の種類が確かにならなければそのような回答を返すことはできませんから、とにかく出てきた虫を精査することが先決なのです。

【極端な潔癖が増えている】
 先ほども少し触れましたが、私が博物館で仕事をするようになった30年ほど前は、結構おおらかで、虫を持ってこられる方の感覚と自分の感覚とは、それほどかけ離れたものではありませんでした。しかし、最近、なかなかそのような感覚で話をすると誤解を招きかねないと少し警戒するようになりました。それは、最初に述べた自然観のギャップももちろんですが、もっと具体的に深刻なのは、潔癖さ加減です。

【タンスから虫が………】
 数年前、家具販売店さんから虫の同定依頼がありました。1年ほど前にそのお店で買った洋服ダンスから虫が出たというのです。その虫が近くにあったドレッサーにも移ってしまったがどうしてくれる、というクレームだったそうです。お客さんの抗議の姿勢が相当強かったため、もう代替えの品を用意することに決めてしまったらしいのですが、その虫を見て驚きました。電話での説明では1年前なので、ヒラタキクイムシであれば珍しいな、ひょっとするとまたコクヌストモドキかな、でもそんなタンスの中で発生するか、と自問していたところ、持ち込まれた虫はチャタテムシの仲間でした。手元にある文献で見る限りヒラタチャタテで、これは明らかに木を害する種ではありません。おそらくタンスの中の湿度が高くなって、カビなどが生え、それで目立つほど繁殖したものと思われます。おそらくこの虫がいない家はないと思います。どこにでもいるし、人体に何ら悪さもしないので、ほとんど人の意識の中に入ってこないような昆虫です。我々博物館の人間にとっては、標本を食べてしまうので無視できない種ですが、一般の人で知っている人はほとんどいないでしょう。体長1ミリ程度の透明感のある体なのでよほど目のいい人でないと気が付かないと思います。
 今回は、大量に発生したとのことなので、目についたのでしょう。その時のお客さんのクレームの原動力は、やはりそいつが刺したり噛んだりかゆくしたりするのではないかということだったそうです。そのお客さんは、虫がタンスを中心に這い回っていたため、木材の害虫だと決めつけてしまったようです。夫婦そろっての抗議で、むしろ旦那さんの方がかなり潔癖らしく、強硬だったと聞きました。
 どう考えても、家具販売店さんや、製造元に非はないと思うのですが、約束をしてしまったので、取り替えられたそうです。
 先に種類の同定をしていたら、また、どこにでもいる虫で直接的にはなんの害もないということを説明できていたらと、販売店さんが気の毒でした。でも、そのような方にわかっていただくことができただろうかと考えると、販売店さんの措置が商売としては得策だったのかもとも思います。でも、なんとも釈然としない一件でした。

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